「日本名山紀行」(昭和19年刊)と大江山の様子 【福知山山の会】

大江山や大江町について学ぶ地域講座として大江町観光倶楽部が(2017年当時)毎月、講演会を行っていました。内容は自然科学分野から歴史、文化までバラエティで楽しく聴講してました。以下、当時山の会の会報にコラムとして掲載した拙文です。

10月は「大江山登山の先駆者藤木九三と荒木良雄」と題して福知山史談会会長山口正世司先生で催されました。その時資料と展示されいたのが「日本名山紀行」という古本でした。数多くの名山と云われる山々と共になんと藤木九三氏による大江山も掲載されいるのが不思議でもあり驚きでした。昭和19年の発行で戦前戦中時に各名山がどのような形で紹介されているのか興味があり入手した次第です。

編者は川崎隆章(山と渓谷社)とあり各山の執筆者は藤木氏をはじめ大正から昭和にかけて活躍していた著名な登山家、詳しくは知りませんが冠松次郎とか日本山岳会の幹事や会員が小伝としてあります。
総ページ数426項。各山10ページ前後の割り振りです。文字も小さめなので文章の量としては多めです。文中には概略図、写真も20枚ほど掲載されています。紹介されている山は

大雪山、日高山脈、八甲田山、鳥海山、岩手山、飯豊山、蔵王山、吾妻山、平か嶽、 八海山、苗場山、谷川岳、立山、劔岳、白馬岳、木曽御嶽山、富士山、八が嶽、白峰、聖岳、加賀白山、伯耆大山、大江山、大峰山、近畿金剛山、四国劍山、霧島山、阿蘇山、朝鮮金剛山、白頭山 (全て目次の表記による)

など20の山や連山。山の紹介と紀行文といった感じで格調高い文章を書かれる執筆者もいるようです。
大江山を執筆している藤木九三氏は福知山出身、朝日の記者で第一次RCC(ロッククライミングクラブ)、甲子園アルプススタンド命名でも知られる人物です。未だにイデオロギーの面から評価されない人のようです。母が宮津出身だったので幼い時は山駕籠に揺られながら普甲峠を越え、中學の頃からは往復、途中内宮で泊まりながら大江山に親しんだとあります。後にスキー登山も試み冬が来れば必ず一度か二度登山していたそうです。
大江山の章の書き出しは

故郷の山への愛着は、高さ、深さ、嶮しさといった本質的な條件を超越して、なつかしい山の芳香と甘味とを發散する。もちろんそれは荘厳・雄大といった感銘とは縁遠い種類のものではあるが、何処か彼の歳を経るに従って香りを増す醇酒にも似て、貴い魅力と陶酔とをもたらす。さうした意味で、わたしは故郷の山としての大江山に深い憧憬を感じないではゐられない。それはまた純なる童心への○○とも名付くべく、かの「むかし丹波の大江山……」の唱歌を通じて、酒呑童子にからむ伝説の山としての特殊な怪奇性と源頼光一行の鬼退治といふ武勇物語が、少年期の私の好奇心をそそつたからによるとは説明するまでにもない。

と郷愁に焦がれる想いです。山の紹介と鬼の岩屋を探検した思い出などが7ページに綴られています。

方位は上側が北でなく左上からやや下ぐらいが北になると思います。
鬼の岩屋の位置。普甲峠と普甲山の関係。今の普甲山はスキー場の山頂と理解してるけど、今の航空管制塔(大笠山)を指しているのだろうか。だとしたら宮津街道、峠の位置も整合性はとれる。それとも普甲峠の記述は茶屋ヶ成峠の事だろうか。
それとも誤記か。
また鳩ヶ峰の名称もない。
と、概略図をみるだけでも色々疑問なども出てきて興味は尽きません。

「日本名山紀行」大江山の他に史談会の山口先生がお話されたことは、福知山出身の中世文学研究の第一人者であった故荒木良雄先生の雲原小学校教員時代の大江山とのかかわり、荒木氏が書いた文章に中に(歌集「やまなみ」岡田恵三著の記述の中に)「大正十四年7月19日、大阪朝日、神戸京都支局主催にて大江山に登る。参加者五百余名。」となる記述があり、講演者として藤木氏の名前もあったこと。
しかしながら当時の様子を伝えるものがこれ以外なく、果たしてどのような会が行われ講演内容は長年の謎ですということでした。
当時の福知山がどのようだったか想像もつかないですが、汽車さえもままなら時代に京阪神から多数の参加者がいたということは驚きです。一体どのような催しだったのでしょうね。

講演会のあとネットで古本を探してみたところ、北海道の古書店が出品しているのを発見、幸運にもあっさり入手できました。大江山の記述に関心があったのですが、昭和初期の登山や山について現代との違いを知る面白い本ではないでしょうか。
私が実際に行った事がある山は三つか四つという所なので私が持っていても価値がないとうのが正直な所です。
本書そのものを読んでみたいという方は問い合わせフォームかコメントで…。