初冬の建部山を歩く ~安寿姫塚コース~  【舞鶴山遊会】

 年内最終の例会として、12月3日、西舞鶴地区に位置する建部山を訪れました。別名丹後富士と呼ばれるその秀麗な姿や、春に山肌一面を染めるタムシバが美しく、地元を代表する山の一つとして広く親しまれています。
 また鎌倉時代には山城が築かれ、明治時代にはロシアの侵入に備えるため、山頂に堡塁が作られ軍事上の拠点にもなりました。更に安寿と厨子王の伝説も伝わるなど様々な歴史と文化に彩られた山でもあります。

安寿姫塚のある、佐織谷池から建部山を望む

 喜多地区からの登山ルートが最も一般的ですが、今回は由良川沿いの下東からのルートを摂りました。朝の間は雲が立ち込め、ほとんど眺望もきかなかったですが、次第に回復し青空も望めて、快適なハイクを楽しむことができました。

山行の様子

旧舞鶴の要塞施設

 日露戦争を控えた明治30年代、海軍の軍港施設を守るために湾口の岬や市内への進入路を見下ろす山の頂上に砲台、堡塁が建築されました。この建部山堡塁もその一つで、他に西側では金岬、槙山各砲台、東側では葦谷、浦入などに砲台、堡塁が築かれました。
 現在は過去の戦争体験と近代化政策を語り継ぐために日本遺産として指定されているところもあります。
山遊会でも例会や個人山行で過去に数ヵ所訪れています。

 過去に訪れた舞鶴の要塞跡地  ~上、葦谷砲台跡  下、槙山砲台跡~
安寿と厨子王  ~丹後に伝わる、姉、安寿と弟、厨子王の悲運の物語~

 中世末期に成立し、江戸時代初期に最盛期を迎えた説経節といわれる語り物の一つ。さんしょう太夫というタイトルでも知られています。
『安寿、厨子王、母、乳母の四人は父を追い陸奥を旅立って京へ向かう。途中越後の直江津で人売りにそそのかされ、姉と弟、母と乳母は別々に引き裂かれてしまう。姉と弟は丹後の由良でさんしょう太夫に買い取れてつらい労働を強いられることになる。数年後、姉は機を見て弟を逃がすことができ、地蔵菩薩の霊験もあって無事に京に着き、帝から父の許し状を受け取ることができる。その後、姉の安寿も逃げ出すことができたが、山中でちから尽き命を落とす。そののち、丹後の国主となった厨子王は長い苦難の末に母との再会を果たす。』
 建部山に咲くタムシバ(地元ではニオイコブシと呼ぶ)は安寿姫の化身と伝えられています。

安寿姫塚にて

 下山後は安寿姫塚の広場で、担当グループに用意してもらった甘酒とお菓子を頂きながら暫し休憩。

 天気に恵まれ、温かい飲み物で年内最終の例会を身も心もホッコリとしながら終えることができました。